香りは記憶の扉

不思議な夢

僕は、おかしな夢をよく見る。今でもよく覚えている夢の一つに次のようなものがある。自分の頭部が雨粒のように蓮の葉に転がり落ちる。落ちたと思うとまた別の蓮の葉の上に居て、そしてまた転がり落ちる。次の葉、その次の葉へと限りなく転がり落ちてゆく。夢は自分が体験したことや見聞きしたことを題材に見る。など聞いたことがあるが、蓮の葉を転がる体験はしたことがない。昨夜は、キヨスミイトゴケを生やした猫のいる大学にいる夢を見た。そんな奇抜で奇妙な夢は、ぼんやりと朝食に淹れる珈琲の香りと引き換えに僕の記憶から消え失せていく。

ロアンヌ

朝食の珈琲の香りとともに10代の記憶が蘇る。僕はその頃、大阪南森町にある「ロアンヌ」という名前の小さな喫茶店でアルバイトをしていた。早朝に家を出て、毎朝7時からカウンターの中で働いていた。40代のマスターとアルバイト二人で切り盛りする小さなお店だった。「ロアンヌ」という名前の由来をお客さんに聞かれたマスターは、昔の付き合っていた女性の名前だと嘘めいていたけど本当は、アラン・ドロンが好きで、アラン・ドロンが登場する陰影の濃いフランス映画の舞台になったフランス中部の町の名前「ロアンヌ」から名付けたらしい。

 そのフランスかぶれの昭和な小さな喫茶店には、大きな窓があった。僕は毎朝、寝ぼけ眼でカウンターに立ち、マスターが挽く珈琲の香りと共に、その大きな窓から忙しそうに行き交う大人達を眺めていた。その当時、南森町にはテレビ局やラジオの収録スタジオ、広告代理店などの会社がいくつも集まっており、いわゆる背広にネクタイといった典型的なサラリーマンとは違った少しラフで、かつインテリジェンスな大人たちで賑わっていたように記憶する。(コピーライターの中島らもさんは、いつもスタジオの床にベタッと座り、タバコを黙々ふかしながら原稿を書いていた)

「のら」の窓

「くまの里山体験のら」にも大きな窓がある。その窓からは里山の風景が見える。山羊のモイさんが草を食み反芻しながら雲を眺めている姿が見える。

「のら」はつもいい香りがする。季節ごとの植物や果実の香りを蒸留しているので、とても良い香りに満ちているのだ。たとえば、あと数十年後、この里山の風景を思い出すのはどんな香りだろうか?爽やかなレモングラス?焼いたシフォンケーキの甘い香り?それとも雨の日のモイさんの獣臭…?

 旅する人が、ここを訪れ、香りと共にこの景色を楽しみ、そして、香りと共にこの体験を思い出してくれたら、「のら」の香りが、人生の記憶の一部になってくれたら、それは素敵なことだなと思う。

香りは記憶の扉となって、いつでもこの里山に戻ってくることができると僕は願う。モイモイ。

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